宇宙のかたすみ ネタばれなし感想
アン・M・マーティン作
アンドリュース・プレス(出版社)
2003年ニューベリー賞オナー賞受賞
面白さ ★★★★☆ 4点
メッセージ性 ★★★★☆ 4点
内容 住み慣れたこのミラートンの町での、何も変わらない毎日。しかし今年の夏は少し違っていた。ハッティの叔父アダムがこの町に戻ってくるという。内気で引っ込み思案だったハッティにとって、それは決して忘れることのできない、かけがえのない、ひと夏のできごととなった―。せつなさの中に、すがすがしい感動を呼び起こす珠玉の物語。2003年度ニューベリー賞・オナー受賞作。
「どうしてだれもアダムおじさんのことを教えてくれなかったの?いまのいままで」
これまでアダムという名前をきいたことがない。それはたしかだ。ママはひたすら手をこねくりまわしてる。パパは手にジャックダニエルのグラスがあればいいのにと思ってるような顔をしてる。
本文より
感想 みずみずしい世界観を持った、静かな感動をくれる物語です。
内気な11歳の少女が、脳に障害を持った叔父と過ごす楽しくて切ないひと夏。夏が終わるころ、少女は、特異ゆえの孤独と大人たちの秘めた苦悩を知ります。
舞台が60年代のアメリカということで、全体的にどことなくノスタルジックな古き良き時代の雰囲気が漂っていて読み心地がよかったです(*´∀`*)。
毎日移動遊園地で遊んで、舞台裏をのぞけるというのはとてもワクワクしますね。そのシーンはすごく楽しくて夢中で読んでしまいました。
ネタバレ感想以下
反転 読んでいて思ったこと
①ハッティは、アダムへの接し方を教わったわけでもないのに、結構正しい対応が出来ていて、11歳という年齢を考えればしっかりしていて、常識人です。そんなハッティなのに、彼女はアダムと自分を「兄と妹でもおかしくないほど」似ていると思いました。それが私にはよくわからず、ずっと疑問でした(・_・?) 。
ハッティは、友達が一人しかいない、ちょっと孤独な少女です。それは彼女が、内気や引っ込み思案だから、というだけでなくアダムと仲良くなれるような常識にとらわれない感性を持つことが出来る、そのおおらかさにも起因するのではないでしょうか。
アダムが観覧車騒ぎを起こした後も、扱いの難しいアダムに引くわけでも離れていくわけでもなく、アダムを好きな気持ちは変わりませんでした。あまりおおらかすぎる人は、周りとのずれが出来て周囲に溶け込めなかったりするような気がします。
しかしハッティのそんなところを、アダムは「宇宙のかたすみをめくることができる」と評したのでは、と私は読んでいて思いました。
②ハッティがしたスピーチはアダムのことを考えて、どうしても伝えたかったのでしょうけれど、あの話ではナンシーとジャネットには伝わらなかっただろうな(´ヘ`;) 、と思いました。
外から見たらアダムはただの頭のおかしな人でしかなくて、他人はそれ以上のことを知りようもないです。しかし、ハッティも最終的にはそのことに気づき、「自分に宇宙には属していない人たち」(自分とは生き方、考え方が違う人たちとは分かり合えない、と気づき、そういう人たちになんと思われようと気にすることはないのだと悟りました。
③ハッティが内気で引っ込み思案だったのは、生まれつきもあるかもしれませんが、祖母の権威からの反動というのも一因ではないでしょうか。ハッティのおばあちゃまには、実の娘であるお母さんも逆らえません。おばあちゃまは家の誇りを第一にしたままずっとこれまで生きてきた人です。そのおばあちゃまのもとで育てられたお母さんも、祖母のやり方に多少の反発を感じてはいるものの、表立っては向かうことは決してありません。
しかしハッティは、脳への障害を持ったアダムを通して、おばあちゃまのやり方に疑問を持ち、彼女の器の小ささというか、人間のほどに気づいたのではないでしょうか。おばあちゃまはしょせんアダムを恥としか思っていない。一人の個性を持った人間としてのアダムに向かい合うことが出来ていないのです。
それを知ったハッティは、初めて祖母に逆らいます。お母さんもできなかった祖母への反発をしたのでした。ハッティは祖母の、そして母や周りの大人たちの価値観を通してではなく、自分自身で判断をしたのです。それはハッティが自分で判断をできるだけ成長したということを意味します。
一連の出来事で、ハッティは自分の意見を持つようになり、友達も新たにできます。
アダムを通してハッティは子供の殻を脱ぎ捨て、一歩大人に近づいたのでした。
最後のほうでハッティの言っていた、「宇宙のかたすみをめくる」の意味、自分の手の中にあるもの=(自分の内気な性格、おばあちゃまに逆らえないこと)を変えることにつながるのかな、と解釈しました。