児童書のレビュー・考察ブログ

主に海外の小学生・中学生向け児童書の感想、考察をしています。

エルフたちの午後 ネタばれなし感想

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ジャネット・テーラー・ライル作   

評論社

 1990年ニューベリー賞オナー賞受賞 f:id:g-mccaghrean:20181205020107j:plain

面白さ ★★★★☆ 4点

メッセージ性 ★★★★★ 5点f:id:g-mccaghrean:20181205022501j:plain

少女のみた日常の陰に潜む人生の真実

 

内容 学校中のきらわれ者、サラケートの家の庭には、エルフたちの小さな村がある。特別にこっそり見せられたヒラリーは、幻のエルフたちと謎めいたサラケートに夢中になってゆくが…。ファンタジックな抒情のなかに描く、2人の少女のふしぎな友情の始まりと終り。

 

―しかし、細い魅惑の糸が、彼女をエルフの村に引きよせていた。

どうして、そんなふうになったのか?どんな魔法のせいなのか?ヒラリーは、自分の頭にはいりこんでくる、あの奇妙な家々のイメージを、締め出すことができなかった。―     本文より

 

感想  読んでいて思い出したのは、小学校のころ、まわりにいた、薄汚れた格好をしてみんなから「汚い」と嫌われていた子たちのこと。彼らは一緒に遊んでみれば、気のいい、楽しい子たちでした。しかし不意におかしなことで怒りだしたり、ひどくぶっきらぼうになったりする瞬間があって、たまに近寄りがたい存在になりました(´・ω・`) 。

 

今思うと、あの子たちはどんな家庭環境だったのか、そして今どうしているのか、二度と会えないだろうけれど思い出すと切ない気持ちになります。

学校になじまず、孤独を貫くサラケートの姿は彼らと重なりますね ・・。こういう社会に取り残されたような家庭というのはいくらでも実在します。平穏に社会になじんでいる人間たちは彼らの存在をほとんど気にとめることなく過ごすのが普通だと思います。社会になじんでいる人たちの目に留まるのは、取り残された人々の奇異な部分ばかりになりがちでしょう。

「髪がフケだらけで汚いな」「空気読めないな」「挙動がおかしくて変 」(`ε´) など、自分たちと違うことばかり注目してしまうのは、彼らの一面しか見れない付き合いでいる場合、仕方ないかもしれません。

彼らのおかれた環境を知り、彼らを理解するというのはかなりハードルが高いともいえます。

しかし本書の主人公のヒラリーは、9歳にして、サラケートのおかしな部分を受け入れ、彼女の生き方を理解しようとします。

この経験はきっと、それまでごく普通に生きてきたヒラリーにとって、いつまでも印象に残り、ものの見方を変えてしまう出来事になったと思われます。希望的観測かもしれませんが、きっとヒラリーはいびつで変わり者の人々に寄り添える、器の大きな大人になったのではないでしょうか。

訳者あとがきのページに、本書に対してのアメリカの新聞の書評が載っていて

「リアリティーの本質を見つめている」

「日常生活にあふれている不可思議なことをえがく」

「叙情的」「淡々とした文章の影に多くの複雑さが書かれている」

「表面的な現象の陰に潜む人生の真実に気付く話」

など並んでいました。読んでみて、確かに同じ感想を抱きました。

 

特に58ページから61ページの、「事実というものは、さまざまに解釈することが出来る。ある事実を、どのように見るか、その見方次第で様々な答えを導き出すことが出来るのだ。」や

「未知のものと接する場合、どんなことでも、こちらの先入観で判断してはいけない。ただ、じっと見守って、彼らがはっきりとすがたをあらわすことを、待ち望むべきなのだ。」

などはメッセージ性が高くて本書の質を高めていると思います。

けれど、同時に本書が果たして児童書としてふさわしいのか疑問も感じました(´‐` ;) 。主人公やその友達の会話が明らかに9歳のものではないのは、翻訳によるものもあるかと思うので、まだいいとしてこれは明らかに子ども向けの話ではない気がします。主要キャラクターは子どもだけれど、この本を読んでテーマを理解できる子どもは多分ごく少数ではないでしょうか。子どもからしたら、この話はよくわからなくて冒険も盛り上がりもない、おもしろくない話( ´△`) 、と思ってしまう可能性が高いと思います。

本書の伝えたいことは、本当に奥が深く、さまざまな解釈が出来るので、考える力を育てる本だと思います。精細な本書のテーマは、あくまで解釈を読者に委ねています。そういう意味でもマンガでもアニメでも映画でもなく、一番物語を俯瞰して描写できる、本という媒体が人の感性に強く訴えることが出来るではないでしょうか。

 

 

エルフたちの午後 (評論社の児童図書館・文学の部屋)

エルフたちの午後 (評論社の児童図書館・文学の部屋)

 

 

以下ネタバレ感想、考察です。

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語の謎に関する考察

  • エルフは本当にいたのか、観覧車やエルフの村は誰が作ったのか

―これは読者各自の解釈にゆだねられる謎ですね。観覧車が回ったところを読んだ後だと、私はエルフはいた、と思いたいです。サラケートが観覧車をヒラリーに見せた時、不思議そうにしていたことを考えると、彼女がいったエルフにまつわるあれこれが嘘だったのか、本当だったのかよくわからなくなりますね(・_・?)。

 

  • サラケートはなぜエルフのことに詳しかったのか

 

―作中にヒントらしきものは見つけられなかったので、完全な想像になりますが…

・サラケートは、危うい日々の生活から自分の精神を保つため、エルフという空想の世界に浸ることで自分の心を守っていた。

・サラケートのお母さんがエルフが好きでサラケートによく聞かせてくれた。

と考えられるのはこのへんでした。

 

  • サラケートのお母さんはどういう状態だったのか

 

―サラケートは常にすべてのことを自分で考えて行動していますよね。そしてサラケートがお母さんを膝にのせているシーンなどをみても、お母さんがきちんとした大人の判断力を持っているとは思えません。何の病気かはわかりませんが、まともに会話ができるレベルかすら疑問ですね。

 

  • ヒラリーはどうしてサラケートの家、庭に惹かれたのか

 

―ヒラリーはサラケートの家で「ここにいるのって、なんてすてきな気分だろう」、「世間のありきたりの表面を突き抜けてこの隠された世界に来ていることは、とても素晴らしい気分だ」と考えています。

サラケートの家の、殺風景で寒くてほこりの積もった家に、整頓とは無縁の乱雑な庭に、どうしてヒラリーはそこまで魅力を感じたのでしょうか。

大きな理由としてはもちろん、エルフのことがあげられるでしょう。

誰も知らない妖精の存在に、自分たちは近づいて、その秘密に触れているという興奮は9歳の子供にとって心躍るものだったでしょうf:id:g-mccaghrean:20181218213332p:plain

子供のころ、多くの人が秘密基地を作って遊んだ思い出があると思います。サラケートの家はヒラリーのとって秘密基地のようなものだったのではないでしょうか。

普段の、想定内のことしか起こらない、平凡なヒラリーの暮らしと違い、サラケートの家と庭はわくわくするような秘密と神秘に満ちていたのですね。

そしてサラケートは、ヒラリーが禁じられているようなお出かけや買い物、映画をただ見したり、大人のやるようなあらゆる手続きをしています。これはヒラリーにとって綱渡りするようなスリルと背徳感を与えるものであったことは容易に想像できます。してはいけないことをする、というのは子供心に抗いがたい誘惑だったでしょう。

こうしてあげていくと、ヒラリーがサラケートの家に心酔してしまったのもうなづけますね(。 ・ω・))フムフム。

 

  • サラケートとヒラリーはどんな大人になるのか

 

―ヒラリーは先に書いたとおり、私の願望としては、器の大きな人になっているのじゃないかな、なっているといいな、と思います。

一方のサラケートはいろいろな可能性が考えられると思うんですよね。お母さんの世話を焼く人や彼女たちをケアする側が、サラケートに理解があり、寄り添ってくれる環境であれば、少しずつ世の中に打ち解けて友達も作ったりするようになるのではないでしょうか。

あるいは、サラケートが恐れていた様に「自分たちと違う生き方をしている人間を好きじゃないから」や、「目障りだから」という理由で心無い接し方をしたり、お母さんの世話を「どうしたらいいかわからず」に「全部ぶち壊しに」するようなことがあれば、彼女は世間に心を閉ざし、自分の殻に閉じこもってしまうかもしれません(´Д`;)。

もしかしたら、サラケートの恐れはある程度本当で、お母さんの世話は他人には理解できないケアが必要なのかもしれません。お母さんが保護された後に、世間の人がサラケートの言うケアを「それはおかしい」と、やめてしまったとします。それが原因でお母さんが弱ってしまうということもなくはないでしょう。

サラケート親子が、情理を兼ねた細やかなケアを受けれることを祈りたいと思います。

 

  • 不穏なラストの意味は?

―これはよくわからないです。この後、ヒラリーが無事、家に戻ってきたのか非常に気になります。もしヒラリーがサラケートの心情世界に引き込まれて、現実から雲隠れしてしまったという終わりであるならば、これまでの考察はすっかり意味がなくなり、途端にこの物語が何を伝えようとしているのかさっぱりわからなくなりますね(´・ω・`)

 

以上、「エルフたちの午後」の考察でした。